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公は「こう」である。「おおやけ」ではない。公爵の公であり、公爵と書く人もいるが、爵位ではないので、前近代には適当ではない、らしい。 西洋史における公は、ラテン語duxの訳である。また、princepsの訳として用いられることもある。ただ、duxは大公と訳すこともある。princepsも侯と訳すことがある。定訳があるわけではないのだ。princepsとduxには本来大きな差があるのだが、それは侯について話す時に触れることにしよう。今回はduxについてである。以下、公と書いたらduxのことである。 山川のドイツ史なんかには、公とは「率いる人」という意味で、将軍という意味だったとある。これに対して伯は文官という意味だった。 おそらくそうなのだろう。duxは「導く」という意味のラテン語"ducere"に由来する。「導く人」すなわち将軍というわけだ。ドイツ語"Herzog"は「軍隊」+「導く」で、明確に将軍のことである。 だが私は、もうひとつ意味があったのではないかと思う。それは、フランク期に置かれた公を並べたらはっきりする。 ・東フランク ザクセン公 フランケン公 バイエルン公 シュヴァーベン公 ロートリンゲン公 ・西フランク アキテーヌ公 ブルゴーニュ公 ブルターニュ公 ノルマンディー公 これらのうち、ロートリンゲン公とアキテーヌ公以外は全て、部族名である。 また、ノルマンディー公とフランケン公、ブルターニュ公以外は、かつて王国だったことがある。 このように、公とはフランク王権に従った部族のトップに与えられる称号なのである。 西フランクの中央部であるパリやシャンパーニュ、アンジューがあんなに有力で、歴史的にも重要なのに「伯」なのは、彼らが部族の領域を引き継いで発展した貴族ではないからだ。 このような、部族のトップという意味合いの強い公を、部族大公と呼ぶ。 部族大公は、それぞれの部族においては強権をふるい、潜在的に王権と対立する存在であった。したがって、東フランクでも西フランクでも段階的に弱体化を強いられることになる。 東フランクでは、ザクセンとロートリンゲンが大公権の分裂を強いられた。ザクセンはザクセン公、ブラウンシュヴァイク公、ヴェストファーレン公に分裂した。ロートリンゲンは上下に分裂した。 フランケンとシュヴァーベンは王権と結びつけられ、大空位時代に消滅した。唯一消滅も分裂もしなかったバイエルンも、東部をオーストリア辺境伯として奪われている。 このようにして、東フランクの部族大公は、全て、大空位時代には自らの支配する土地以外には全く権力を及ぼせない領邦君主に変貌する。極端な例では、ザクセン公のように、ほとんど土地を持たないところまで没落してしまったのもいた(いわゆるザクセン公国は、実際には大部分がこの称号を相続したマイセン辺境伯=ザクセン宮中伯=チューリンゲン方伯の領土である。) 西フランクでは、ノルマンディー、ブルターニュ、アキテーヌがイングランド王権と結びつき、ジョン欠地王のとき実質的にフランス王権に統合された(完全にフランス王のものとなるのは百年戦争のときであるが)。ブルターニュとブルゴーニュは、家系断絶の末にフランス王に統合された。西フランクでは、部族大公は全て滅ぼされたのである。 えらく長くなってしまった。今日はここまでにしよう。次回からは各公の歴史、それに独仏以外の国の公についても触れたいと思う。 |
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