チェルニゴフはキエフの東にあり、対遊牧民の最前線となった都市である。ウラディーミル賢公の死後、三男スヴャトスラフが相続した。 1073年にスヴャトスラフは兄のキエフ大公イジャスラフを追放し、キエフ大公となった。その際、協力した弟フセヴォロドにチェルニゴフを譲渡したが、スヴャトスラフが死ぬとフセヴォロドはイジャスラフと和解、スヴャトスラフの子たちはほとんど領土を与えられず、遊牧民ポロヴェツと組んで反乱を繰り返した。 1097年、諸侯会議が開かれ、チェルニゴフとノヴゴロド・セーヴェルスキー、ムーロムはイジャスラフ系の領土として認められた。以後イジャスラフの子孫の最年長者がチェルニゴフ公となるルールが守られた。 13世紀、モンゴルの侵攻により破壊された。それ以降の歴史は不明瞭で、リトアニアの影響下に置かれるようになっていったようだ。
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